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華ドラ「恕の人―孔子伝―」視聴終了しました♪

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「恕の人―孔子伝―」原題 孔子  全35話 
監督:ハン・ガン    脚本:ハン・ガン、ジョン・ジンジン、スイ・ドン
キャスト
趙文瑄(ウィンストン・チャオ)→孔子 役
夏徳俊→孔子(青年) 役
熊俊豪→孔子(少年)役
李星潼(リー・シントン)→扞官氏(孔子の妻)役
趙君(チャオ・ジュン)→子路 役
羅嘉良(ロー・ガーリョン)→子貢 役  
石田壱成→顔回 役
李貞賢(イ・ジョンヒョン)→南子 役  
劉興盛→魯定公 役 
高発→陽虎 役 
陳暁→宋朝 役 
許還山→老子 役  
関礼傑→公山弗擾 役
張齢心(チャン・リンシン)→梅燕 役 孔子の論文を執筆中
墨陽(モー・ヤン)→端木 役 記者 梅燕の案内役
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冒頭あらすじ
~現代~
アメリカ留学中の梅燕は、孔子についての論文を完成させるために一時帰国する。
案内役の端木は「孔子とは知り合いだ」とおどける調子のいい男だった。
~春秋時代の魯国~
母ひとり子ひとりで育った孔子は、17歳で母を亡くし、母の棺と共に座り込んで道行く人に父の墓の場所を尋ね続ける…。幼い頃から儀式や葬儀に精通していた孔子は、母を父と同じ墓に埋葬することが、親に対する“礼”であると考えていたのだった。(HPより)

華ドラ「恕の人―孔子伝―」を最終回まで見終わりました。




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子曰く 其れ 恕か 己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ 
子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳従う 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず
授業で勉強しましたよね~。懐かしいですよね♪
春秋時代を扱ったドラマ(孫子とか呉越もの数本)をみていた時に、
孔子の人生も少しだけ調べた事があったので興味はあった彼の人生。
あの波乱に満ちた春秋時代を生きた孔子の人生ももっと知りたいと思って視聴を決意しました♪

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1つのドラマのキャラとしてでも、
聖人といわれる孔子の人となりについて書くのが恐れ多い気持ちになってしまいますので、簡単に感想を。
このドラマでは、
理想を掲げ生真面目で権力に迎合することがない孔子
権力者にとっては尊敬できても最終的には厄介な存在になってしまいます。
孔子は理想の国の実現を目指しますが、何度も夢破れながらも立ち上がり理想を追い求め続けます。
師を尊敬し従う弟子達
師のその不器用とも思えるまっすぐさも愛する弟子だちです。
頑なにぶれない師匠と世間との間で板ばさみになって苦労する弟子もいて…。
志と現実と尊敬する師匠との間で揺れる弟子と孔子の関係がすごく面白かったです。
オリンピックと同時期に偶然見始めたのですが、思わぬ相乗効果がありました。
理想を追い求めては夢破れ理想を求めてまた放浪する孔子の姿が描かれたこのドラマ
孔子人生を辿りつつのオリンピックで繰り広げられるの悲喜こもごもは、心に染み入るものがありました。
新記録 金メダル 三連覇 などに勇気をもらい感動しながらも
怪我 失格 判定 などに涙する選手たち姿に孔子を重ねて、人生について考えさせられました。

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そうそう石田壱成君が出演しています。
彼が演じた顔回は孔子の愛弟子。
孔子の傍に常いて 身の回り世話をして、彼の言葉を常に記録している弟子なので、
いつも画面に映っていてとにかくおいしい役。
こんないい役を日本人に演じさせたことにかなり驚きましたね。
日本人&韓国の女優さんも出ている所を考えると
資金という大人の事情もあるのかしらん?とも思いますが、
でも監督さんが第一印象で決定したというのが納得できるほど、
このドラマの顔回のというキャラと石田壱成君の持つ雰囲気と合っていたように感じました。

中国ドラマって画面が暗かったり画像が汚い事も多いのですが、
このドラマはすごく明るくて綺麗です。
それに衣装もセットも含めこだわって作ってあるのが気に入りました♪


胸キュンなことはまるでないし、
教科書的な雰囲気も多いにありますが
孔子の大まかな人生を知りたいと思う方にはすごくいいのではないかと思います。
孔子についての論文を書いている女性が出てくる現代のパートがあって、
現代における孔子や弟子達の解釈などの補足がされて、より分かりやすくなってます。
興味のない人にはお勧めはしません。
ハマッタわけではありませんが、十分に満足
☆4(満点は☆5)

孔子の話す言葉中には知らない事や言葉も多かったので、
いちいち検索をかけて調べながら見てしまいました。
こんなに検索をしながら見たドラマは初めてでした。疲れたけど勉強になりました♪

以下最終回の台詞おこしです。

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第35話 最終回

心のこもった木瓜(ぼけ)の実に
私は美しい瓊琚(たま)で答えよう
燕が済水に飛んで来て
泰山に巣を作ったよ


「出て行きなさい」
「先生」
「皆出て行きなさい」
「先生…」
「原憲 これを全て片づけなさい ここに置いておくな」
「先生」
「さげよ 捨てよ 捨ててしまうのだ」
料理を持って出て行く弟子達と孫
「子路… 子路…天よ私に死ねというのですか…」声をあげてなく孔子

かつて子路と孔子が“成人”つまり“完全な人格者”の解釈ついて話し合った事があります。
孔子は高揚してこう言いました「利を見えれば義にかなっているかを考え 危うい時は潔く命をささげ 日ごろの自分の言葉も忘れず 実行する者こそ成人である」
子路は痛ましい方法でこの理想を実現してしまったのです。
実際子路の死について子路の死に方について孔子は早くから予感していました。
孔子は言いました「子路はその死を得ず」つまり非業の死を遂げると。
しかしこの予感が実証され残酷な事実として目の前につきつけられた時やはり孔子は深く傷つきました。
子路が殺された後の孔子は、一日中ぼんやりと過ごし夢と現を行き来するようになったのです。

「先生」
「子路かずっと待っていたぞ よくぞ郈邑(こうゆう)の壁を壊したな 幸先がよいぞ 次は費邑(ひゆう)の番だな」
「先生 私です 子貢です」
「ああ 子貢か なぜそんなに老けて見える?老けるのはよい 成熟し落ち着いてみえるぞ」
「先生 重湯です どうぞ温かいうちに」
「顔回は飲んだのか?顔回は近頃いつも冷たくなってから飲んでおる 体に良くない」
「先生 一緒に外に出ませんか?晴々します」
「どこへ行くのだ?」
「外に空気を吸いに行きましょう」
「衛に行くぞ」
「衛ですね 行きましょう」
「あっいや」
「はい?」
「やはり楚に行こう」
「楚ですね 行きましょう」
「やはり先に衛に行ってから楚に行こう」
「はい 衛に行ってから楚ですね」
「誰かが私を用いてくれたら1年でもよい3年で成果を出す。3年で成果をだすぞ」
「はい 3年で成果をだす 3年で成果をだす」

「原憲!原憲!原憲 来てくれ 早く来てくれ 足を揉んでくれ!足を揉んでくれ 早く足が動かない 力を込めて」
「どうだ 少しはよいか?」
「ああ 今度は手を 手も動かなくなった」
「どうだ?」
「動くぞ」
「治ったか?」
「あれ?治った!」
「どうした?」
「夢だ 悪い夢を見た 夢の中で死にそうになって 起きたら体中動かせなくなっていたのだ」
「なんだ 夢か 案じて損をした」
「まるで真のようだった 本当に死ぬと思った あれと同じ感覚だ まるで“詩”で読んだように…“戦戦兢兢として深淵に臨むが如く 薄氷を履むが如し”」
「たぶん近頃弔い続きだからそんな夢を見たのだ 大丈夫だ 早く寝ろ」
「なぁ まだ寝なくてもよいだろ 話に付き合ってくれ」
「もう止そう こんな夜更けに生き死の話をするなんて 聞くだけで怖い」
「“鳥のまさに死なんとするや その鳴くこと哀し 人のまさに死なんとするや その言うこと善し”なぁ私には何も恐れる事はない さっき一度死んだんだ 何も怖くない」
「それは偽りの死 かりそめだ」

遊ぶ孫を眺める孔子
「先生 先生 夕べ夢を見ました」
「数日中にお前たちで教壇の掃除をしなさい」
「はい 分かりました」
「さっき何と申した?夢を見たとな?」
「はい 昨日夜悪夢を見ました」
「う~ん私がお前くらいの年の頃は悪夢など見なかった 全てよい夢だった ところが齢を重ね老いてくると良い夢が少なくなった」
「では先生 どんな夢を見るかは年に関わると言うのですか?」
「うん もちろん関わっておる」
「それならば何ゆえ私は悪い夢を?」
「お前は年若いが大げさに考える 悩みすぎるのだ 努力をすべき際にはしかと努力をして そうでない際にはこだわるべきでない 孔伋(こうきゅう)を見よ あの子は悪夢など見ないはずだ」
「そうか そうだ先生思い出しました かつては幾度も周公の夢を見たとか」
「私が老いてもうろくしたせいか もう長い事ずっと周公の夢を見てはいない」

手に持っているものを落とす孔子
竹簡を読んでいて気を失う孔子

私には孔子の悲しみがよく分かりました 大道を実現できないままこの世を去らねばならないことを嘆いた孔子 一方私の悲しみは論文を書き上げると共に孔子に別れを告げねばならないことにありました。
電話が鳴る
「はい いいえ風邪じゃない ただとても悲しくて もうじき孔子が死ぬから」

「私自身悔しいの こんな短い期間では、孔子の生涯や思想を把握したり理解するなんて無理よ 2500年間で孔子は歴代の統治者たちが作り変えた偶像になってしまった 歴史の事実と孔子の心の真の苦しみは、時間の奥に埋もれてしまってる 生前は不遇に苦しんでたのに死後は名声を轟かせてるなんて どれだけの人が真実をしってるのか」
「確かに孔子は中国史上最も誤解され真実が伝わっていない人物だ 崇拝した者が孔子を利用し 孔子の名を利用して悪事を働いた人物も多い  熱烈な信奉者だって孔子を理解してるとは限らないし 孔子を嫌う者には当然誤解があるし 勝手に曲解してる」
「私には分からない 孔子の思想はどうして簡単に彼を嫌ってた統治者にまでに利用されたのかしら?」
「思うにおそらく孔子が文化を守ろうとしたからだね 文化継承を望む温和な態度のせいさ 歴代の君主は孔子が礼を守ろうとしたことを喧伝し自国の秩序を強化した だが往々にして孔子が唱えた礼のもう一面“仁”だ つまり思いやり そこは無視された」
「孔子を研究してて私その生き様に胸が張り裂けそうになった 孔子は述べて作らぬ誠実な学者 荒野に呼びかける失意の政治家 おびえながら東奔西走する理想主義者だった」
「夢に生きて 生涯夢を追いかけ その夢に破れた人」
「時代の流れに乗らなかった人」
「生前は踏みつけられ 死後祭り上げられた人」
「孤独な人」


目を覚ます孔子
子貢「先生」
「皆来たのか?大丈夫だ ただ少しめまいがして つまずいただけだ」
「先生 数日休めば起き上がれますよ」
「私は今までずっと倒れては起き上がりまた倒れては起き上がってきた 大した事はない これくらい大した事ではない」
「先生は強いお方 不撓不屈です 我々弟子は敬服しております」
「何が不撓不屈だ ただ頑固なだけだ 私が説いた事を私が言った事をお前たち以外に誰が真に受けた?」
「先生は太陽や月のようなお方 私たちはただ仰ぎ見て光を浴びるのみです 先生のお考えや言葉を理解できない者がいようとそれは世の中の常 気にする必要はありません」
「天下に道が無くなって久しい 私は一途に道を説いてきた 私は(笑う孔子)…私は皆に道を説いてきたのだ 私はあれほど必死に人々道を説いた どうだ笑えるだろ ハッハッハ」
「先生」
「大丈夫だ 案ずる事はない 大丈夫 魯に戻ってきて以来 私は世間に関わらず学問に専念していた 整理したぞ “詩”“書”“礼”“楽”“易”そして“春秋”をな これらの書をお前たちに託す この書があれば 道がある 道があれば私がいる」
「先生の教え必ず心に刻み込み永久に忘れません」
「天を怨みず人を咎めず下学して上達す 私を理解できるのはおそらく天だけなのだろう もうよい 皆行きなさい かように取り囲まれていては息が詰まる 皆行きなさい 出て行きなさい 子貢 頼みがある湯を沸かしてくれ たらいに入れておいてほしい 後で…沐浴して着替えたい」
弟子が沐浴を手伝う

目を覚ました孔子は玉の勾兵を袋から取り出し眺めた後懐に入れる

1人で外出する孔子思い出場所を巡る
<先だっては学びから得る恩恵について学んだ そこで今日は君子になるには何を学べ良いのかそれについて話したい まずは“仁”ついてだ 仁とは人が二人 人と人の関わりということだ 父母に対しては“孝”であるべし 兄弟対しては“悌”であるべし 夫婦においては“愛”を持つべし 子に対しては“慈”であるべし 君主に対して“忠”であるべし 友に対しては“信”であるべし 他人に対しては“誠”であるべし>

<「お前か 何用だ?」
「宴に」
「宴 招かれたか?」
「燕礼という宴は賓客の和をはかり 天子 公卿 大夫 士が共に会し交流するためのものです 季孫家の宴が催されるとなれば季孫様への敬意を表します 私も“士”ですから」
「お前が“士”だと?」
「はい さようです 五つにして“詩”を読み“礼”を学び 十五にして学を志しました まだ博学とは申せませんが知識はございます 礼儀も分かっております お疑いならお試しください」
「立派だな 恐れ入った だが今日は公卿や大夫がお客様だ 弁舌を弄する物乞いに用はない うせろ」
「私は“士”ですから 臨席はかなわぬと仰るのであれば従いますが 辱めは承服致しかねます」>

<「先生国を興せる一文はあるか?」
「ありません しかし近い言葉ならございます“すなわち君たること難し 臣たることも易からず”君主たる事の難しさを知るべきです」
「では国を滅ぼす一文はあるか?」
「ございません しかし近いのはこういう言葉です “すなわち君たることの楽しみはその言にして我に違うこと無し”君主の楽しみとは何を言っても誰も反対しないという事だというのです もしも君主の言葉正しければ結構ですが それが誤った言葉であったなら誰も反対しないのは国にとって災難です」
「主君はどうあるべきか?また臣下はどうあるべきか?」
「主君は礼を持って使い 臣下は忠を持って仕える」>

「泰山いまし崩れなん 梁の木いまし壊れなん 哲人いましみまからん」

孔子を探しまわる弟子たち
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山道を行く孔子
子貢が孔子を見つける
「先生!先生」
「子貢か」
「なぜお1人でこんなところまで 手が冷たくなっています さあ先生座って話しましょう」
「死など大したことではない だが私の道は…私の道は伝わっていくのだろうか?」
「伝わります 先生の仁愛の道は伝わっていきますとも」
「見よ 山のそばに何がある?」
「山のそばには…霧が 幾重にも雲と重なり」
「霧のそばには?」
「また山が 山と霧が幾重にも連なっています」
「幾重にも連なるあの山々の向こうに 雲と霧が立ち込めた奥深くに まったく別の光景がある 別の世界が!」
夢の光景が広がる

紀元前497年孔子は子貢に自分の夢の光景を語った7日後この世を去りました
享年73 
魯の哀公は葬儀に列席し こう弔辞を述べました
“天は無常にも君主の私を支えるべき長老を奪い去った 1人取り残された私は心を痛めるばかりである 何と悲しいことなのだ 規範になる人物を失うとは”
その弔辞に子貢は答えました
“生前には用いてくださらず 死去した後にそうした弔辞をおくるとは 礼に背く”

孔子が世を去った後3年の間弟子たちは墓に寄り添い守りました
3年の喪が明けると皆去っていきましたが 
子貢はかやぶきの小屋を立て1人で6年間師の墓を守り抜いたのです


学校が完成
「端木(ドゥアンムー)私ね 論文のテーマを変えたの」
「元々のテーマはたしか“孔子研究”?」
「うん 新しいテーマは“孔子の精神と現代の中国”よ」
「うん それはいい」
「私思うんだ これで論文を書くには 一生かけないといけないって」
「そうだな “孔子”という名前の前にはさまざまな説明がつく“思想家”“政治家”“教育者”“聖人”“先師”それから“大成至聖先師”“万世師表”というのも どの言葉も孔子に関する考察や評価を表しているけど 歴史上での孔子の意義や価値を示すにはどれも足りない 俺が一番興味があるのは、なぜ今人々が孔子に注目して“論語”読み解くのがブームなっているかだ」
「なぜだと思う?」
「ある本にこう書かれていた 今のこの時代は日増しに豊かになり物があふれているが、その生活がもたらすのは充実ではなく“むなしさ”“焦り”“喪失感”や“迷い”だ 俺たちは今孔子に注目し“論語”解読してる
俺たちを突き動かしているのはもしかすると 自分自身を取り戻そうする気持ち 魂の居場所を求める気持ち なのかも」
「私もそう思う」
「だから俺たちが学校を作ったのは、子供たちのためだけじゃなく自分のためでもあったんだ この事業で俺は思い切り楽しんだ 何たって俺は自分を取り戻すプロセスだったんだからな」
「端木 私決めた」
「何を決めた?」
「孔子の為にあることをする」
「何をするのさ?」
「明日になれば分かる」
「アメリカに戻るのか」
「明日話すから」
「どうやら明日まで待つしかなさそうだな」
「そう!明日を待つの」
「明日を待とう!」

高き山を仰ぎ
高き空を望む
吟じよう すばらしき美文 万巻を すばらしき美文 万巻を
去る者はいずこに行くのか 
来たる者は追う
いにしえの聖賢はいまだ眠らず 聖賢はいまだ眠らず
知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ 知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ
ただ望むのは天下の民の喜び 
己の欲せざるところ人に施すことなかれ
坦かに蕩蕩たりこれが君子の風格
ただ望むのは天下の民の喜び 
己の欲せざるところ人に施すことなかれ
坦かに蕩蕩たりこれが君子の風格
坦かに蕩蕩たり これが君子の風格 風格なり
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by jiyong-xg | 2012-08-14 00:38 | 恕の人--孔子伝--